2018年 06月 29日
☆創世記22:2☆
今日の神様の御言葉
神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れて
モリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。
創世記22:2
牧師先生からのメッセージ
到底受け入れられない神の言葉であったが、アブラハムはこれに従った。
決心が鈍らないように、翌朝早く支度をし、イサクと二人の若者を連れてモリヤに向けて出発した。
しかし、到着まで3日を要した。イサクと二人の従者を前に口に出せない。
アブラハムの心中は、激しい葛藤で夜も眠れなかったであろう。
モリヤに着くと、二人の従者をそこに置き、アブラハム親子だけが山に登った。
イサクに「燔祭の小羊はどこに?」と聞かれた時は、アブラハムは心引き裂かれる思いであったろう。
主の示された所に着くと、祭壇を築き、たきぎを敷き、 イサクを縛ってその上に寝かせた。
そして、刃物をふりかざし、イサクめがけてふり下ろそうとした瞬間、
主はアブラハムの名を呼び、とどめられた。
レンブラントの絵では、アブラハムをはがい締めする御使いが描かれている。
なんと卓越した信仰であろう。それはアブラハムの信仰であり、イサクの信仰でもあった。
今朝のみ言葉は、私たちに向かって「あなたにとってのイサク、即ちもっとも大切なものを
主に明け渡しなさい」と語りかけている。
もっとも大切なものが、アブラハムと同様、子どもであれば、子を神の御手に明け渡さなければならない。
もしそのようにせず、神よりも大切なものとするなら、それは偶像となり、子どもをかえって駄目にしてしまう。
しかし、子をささげるなら、神は、親であるあなたと子の間に入って、一番良い距離を保って下さる。
親はしばしば子に近づきすぎて、子の自立を妨げる。
「アドナイ・エレ」 ( 「主の山に備えあり」 ) 。ささげるなら、主は備えて下さる。
神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れて
モリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。
創世記22:2
牧師先生からのメッセージ
到底受け入れられない神の言葉であったが、アブラハムはこれに従った。
決心が鈍らないように、翌朝早く支度をし、イサクと二人の若者を連れてモリヤに向けて出発した。
しかし、到着まで3日を要した。イサクと二人の従者を前に口に出せない。
アブラハムの心中は、激しい葛藤で夜も眠れなかったであろう。
モリヤに着くと、二人の従者をそこに置き、アブラハム親子だけが山に登った。
イサクに「燔祭の小羊はどこに?」と聞かれた時は、アブラハムは心引き裂かれる思いであったろう。
主の示された所に着くと、祭壇を築き、たきぎを敷き、 イサクを縛ってその上に寝かせた。
そして、刃物をふりかざし、イサクめがけてふり下ろそうとした瞬間、
主はアブラハムの名を呼び、とどめられた。
レンブラントの絵では、アブラハムをはがい締めする御使いが描かれている。
なんと卓越した信仰であろう。それはアブラハムの信仰であり、イサクの信仰でもあった。
今朝のみ言葉は、私たちに向かって「あなたにとってのイサク、即ちもっとも大切なものを
主に明け渡しなさい」と語りかけている。
もっとも大切なものが、アブラハムと同様、子どもであれば、子を神の御手に明け渡さなければならない。
もしそのようにせず、神よりも大切なものとするなら、それは偶像となり、子どもをかえって駄目にしてしまう。
しかし、子をささげるなら、神は、親であるあなたと子の間に入って、一番良い距離を保って下さる。
親はしばしば子に近づきすぎて、子の自立を妨げる。
「アドナイ・エレ」 ( 「主の山に備えあり」 ) 。ささげるなら、主は備えて下さる。
by betty_bible
| 2018-06-29 00:00
| 創世記
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