2018年 08月 30日
☆マタイによる福音書6:22~23☆
今日の神様の御言葉
目はからだのあかりである。だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいだろう。
しかし、あなたの目が悪ければ、全身も暗いだろう。
だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、その暗さは、どんなであろう。
マタイによる福音書6:22~23
牧師先生からのメッセージ
英国の聖書学者W・バークレイは、「澄んでいる」という言葉は
「ハプルス」というギリシャ語が使われているが、ヤコブ1:5にも使われていて、
本来、「寛大な」とか「物惜しみしない」という意味であると言う。
私たちの目はどこを向いているだろうか。
地上の富に向いているなら、それは曇っているのであって目は悪い。
それに対して、神に向かっているなら、目は澄んでいる。
神に向かっているなら、私たちの全身は明るく健やかである。
地上の富や快楽に心がとらわれ、目が神に向けられていなければ、全身は暗く不健康である。
私たちがいつも主イエスに向かっているなら、内なる光を持つ。内なる光は私たちを健やかにし、
周囲の人々に生きる望みと喜びを与える。
末尾に「内なる光が暗ければ、そ の暗さは、どんなであろう」とある。
その暗さは想像もつかないということだろうか。希望となる一条の光がもない。
息苦しいほどの暗さである。内なる光を失ってはならない。
目はからだのあかりである。だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいだろう。
しかし、あなたの目が悪ければ、全身も暗いだろう。
だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、その暗さは、どんなであろう。
マタイによる福音書6:22~23
牧師先生からのメッセージ
英国の聖書学者W・バークレイは、「澄んでいる」という言葉は
「ハプルス」というギリシャ語が使われているが、ヤコブ1:5にも使われていて、
本来、「寛大な」とか「物惜しみしない」という意味であると言う。
私たちの目はどこを向いているだろうか。
地上の富に向いているなら、それは曇っているのであって目は悪い。
それに対して、神に向かっているなら、目は澄んでいる。
神に向かっているなら、私たちの全身は明るく健やかである。
地上の富や快楽に心がとらわれ、目が神に向けられていなければ、全身は暗く不健康である。
私たちがいつも主イエスに向かっているなら、内なる光を持つ。内なる光は私たちを健やかにし、
周囲の人々に生きる望みと喜びを与える。
末尾に「内なる光が暗ければ、そ の暗さは、どんなであろう」とある。
その暗さは想像もつかないということだろうか。希望となる一条の光がもない。
息苦しいほどの暗さである。内なる光を失ってはならない。
by betty_bible
| 2018-08-30 00:00
| マタイによる福音書
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