2018年 09月 06日
☆マタイによる福音書7:1☆
今日の神様の御言葉
人をさばくな。自分がさばかれないためである。
マタイによる福音書7:1
牧師先生からのメッセージ
私たちがあやまちを犯した場合、誰かから指摘されないと気づかないことがある。
非の指摘はさばくことではない。心当たりがなければ、弁明すればいい。
その指摘どおりであれば、誠意をもって謝罪すべきである。
だから、「何故、人をさばくのか!」と言って、人をさばいてはならない。
非の指摘がさばきとなるのは、謝罪されても相手をゆるさないことである。
ゆるさないことも辛いが、ゆるせないことはもっと辛い。
私たちが問われるゆるしはせいぜい100デナリ、
私たちが主からいただいたゆるしはその60倍の1タラント(6000デナリ)である。
主からどんなに大きなゆるしが与えられていることか。主の愛とゆるしの中に生きるものでありたい。
人をさばくな。自分がさばかれないためである。
マタイによる福音書7:1
牧師先生からのメッセージ
私たちがあやまちを犯した場合、誰かから指摘されないと気づかないことがある。
非の指摘はさばくことではない。心当たりがなければ、弁明すればいい。
その指摘どおりであれば、誠意をもって謝罪すべきである。
だから、「何故、人をさばくのか!」と言って、人をさばいてはならない。
非の指摘がさばきとなるのは、謝罪されても相手をゆるさないことである。
ゆるさないことも辛いが、ゆるせないことはもっと辛い。
私たちが問われるゆるしはせいぜい100デナリ、
私たちが主からいただいたゆるしはその60倍の1タラント(6000デナリ)である。
主からどんなに大きなゆるしが与えられていることか。主の愛とゆるしの中に生きるものでありたい。
by betty_bible
| 2018-09-06 00:00
| マタイによる福音書
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