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教会の毎日の御言葉集        God Bless You !!


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カテゴリ:マタイによる福音書( 183 )

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だから、目をさましていなさい。
いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。

                           マタイによる福音書24:42

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「目をさましていなさい」と主は言われた。
目をさまして何を見張るのか?怪しい者が忍び寄ってきて、誘惑されはしないかと警戒するのか。
主の再臨の日に備えて抜かりなく信仰生活を送るのか。
いずれも大切なことであるが、もっとも見張らなければならないのは、私たちの心である。
私たちの心は主に向けられているだろうか。私たちの心がさまよい、神を見失っていないであろうか。
「油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである」 ( 箴言 4:23) 。
神の子として命、それは聖霊である。
心がいつも主と共にあるならば、聖霊は泉のように私たちの心から湧き出づる。
聖霊に潤されて歩んでいるなら、表向きは信仰深く、裏側では主をうとんじるというような生活はできない。
いつも「マラナ・タ(われらの主よ、きたりませ)」 ( 第一コリント 16:22) と
心から言えるキリスト者でありたい。

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by betty_bible | 2018-11-15 00:00 | マタイによる福音書 | Comments(0)
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天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。

                        マタイによる福音書24:35

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私たちは、何を拠所として生きているのだろうか。
今日のみ言葉には「天地は滅びる」とある。この世のものは滅び去ってゆく。
目に見え、形あるものは過ぎ去ってゆくものである。
私たちの身体もまた、いつかは衰え朽ち果てて行く。
しかし、主の言葉は滅び去ることがないという。
何があっても変わることのない神の言葉に依り頼むものでありたい。

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by betty_bible | 2018-11-14 00:00 | マタイによる福音書 | Comments(0)
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また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、
全世界に宣べ伝えられるであろう。
そしてそれから最後が来るのである。

                        マタイによる福音書24:12~14

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始まりがあれば終わりがある。それが聖書の歴史観である。
人類に罪が入り込んで、自然は破壊され、人間社会には不和や対立が起こり、
戦争や紛争がいつの時代も絶えなかった。
私たちが住まうこの世界は終焉を迎える時が来る。
その後、キリストは再臨されて、私たちを新しい天と新しい地を創造され、
神の御国に迎え入れてくださる。
その時までは、人はますます自己中心的になり、地上に不法がはびこり、愛が冷える。
私たちはあきらめずに、全世界の人たちが神に立ち返り、
キリストの十字架と復活を信じて救いにあずかるように、福音を語り伝えて行きたい。

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by betty_bible | 2018-11-13 00:00 | マタイによる福音書 | Comments(0)
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まず神の国と神の義とを求めなさい。
そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

                        マタイによる福音書6:33

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死を求めて六甲山をさまよっていたひとりの青年が、上記の聖書の言葉をふと思い出したという。
幼い頃、日曜学校で暗唱していた言葉だった。
彼の心に一条の光が射し込み、その足で教会を訪ね、一命をとりとめた。

神を求めるなら、あなたを苦悩の中から救い出される神と出会うのです。

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by betty_bible | 2018-11-12 00:00 | マタイによる福音書 | Comments(0)
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偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。
あなたがたは白く塗った墓に似ている。
外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。

                             マタイによる福音書23:27

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23章では、主イエスは、 律法学者、パリサイ人たちに向かって辛辣 ( しんらつ ) な批判をしている。
これは決して対岸の火事のように、私たちには無縁のことだと思ってはならない。
私たちも律法学者、パリサイ人たちのように、聖霊との関わりが希薄になり、
いのちのない形だけの信仰生活を送っている場合があるからだ。
信仰が形骸化すると、私たちの心に偽善がはびこり、忙しいと言って他人に目を向けることをせず、
いつも自分のことばかり考えている。
そんな私たちは気づかぬうちに、「白く塗った墓」のようになっているのではないか。
主を置き去りにして先に突き進んでしまう自分に気づいて、いつも主と共に歩むことを心がけよう。

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by betty_bible | 2018-11-11 00:00 | マタイによる福音書 | Comments(0)
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イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。

                             マタイによる福音書22:37~40

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心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして神を愛するとは、どのようなことなのだろうか。
ひとつ言えることは、何をするかということではなく、どうあるかということである。
私たちが信じる神は「在って在る者」と言われるお方で、人に何かしてもらうということはない。
私たちに求められているのは、飾らず偽らずあるがままで真実に神と相対することではないか。
そして、神を愛することは、神の愛をいっぱいに受けて、私たちが隣り人を愛することである。
神がもっとも喜ばれることは、この地上にあって、私たちが互いに弱さを担い、
喜びも悲しみも共に分かち合って、仲睦まじくすることである。

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by betty_bible | 2018-11-10 00:00 | マタイによる福音書 | Comments(0)
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彼らは「カイザルのです」と答えた。するとイエスは言われた、
「それでは、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。
彼らはこれを聞いて驚嘆し、イエスを残して立ち去った。

                          マタイによる福音書21:21~22

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パリサイ人は主イエスのあげ足を取ろうとたくらんで、
「カイザルに税金を納めてよいでしょうか」と質問した。
それに対する主の回答は明快であった。
主は硬貨を手にとり、「ここに誰の肖像と記号が刻まれているのか?」と尋ね、
「カイザルです」と答えると、「それでは、カイザルのものはカイザルに、
神のものは神に返しなさい」と答えられたのである。

神に仕えているなら、世に対する責任は果たさなくてよいのか。断じてそうではない。
硬貨にはカイザルの肖像が刻まれていたように、
私たちには、目にはみえないが、神の像 ( かたち ) が刻まれている。
だから、私たちは神のもとに帰らなければならない。
そして神の栄光を表わすために神に託せられた仕事にいそしむのである。
地上の国の市民としての務めも神の託せられる仕事である。

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by betty_bible | 2018-11-09 00:00 | マタイによる福音書 | Comments(0)
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それから僕たちに言った、
『婚宴の用意はできているが、招かれていたのは、ふさわしくない人々であった。
だから、町の大通りに出て行って、出会った人はだれでも婚宴に連れてきなさい』。
そこで、僕たちは道に出て行って、出会う人は、悪人でも善人でもみな集めてきたので、
婚宴の席は客でいっぱいになった。

                          マタイによる福音書22:8~10

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「王子の婚宴」と言われるたとえである。
いよいよ婚宴の日になったので、あらかじめ招いていた人たちを呼びに行った。
ところが、招待された人たちは、ある者は畑に行くと言い、ある者は商売に行くと言って辞退し、
悪らつなのは、呼びに行った王の僕を侮辱し殺してしまったという。
王は立腹し兵を送って彼らを滅ぼした。
それから、僕たちに町に出会った人ならだれでも婚宴に連れて来なさいと言ったので、
善人でも悪人でも連れて来て、婚宴の席は満席となったという。

神の選びの民は招きに応じず、異邦人が迎えられるようになった。
主イエス・キリストの救いは、善人、悪人の差別なく招かれる。
ここでも、救いは人の功績や行ないによらないことが言われている。
主は「罪人を招くためにこそ、世に 来た」とさえ言っておられる。
寛大でいつくしみ深い神の招きに応じ、一人でも多く主の救いにあずかることができるように、
誰かまわず、えり好みせず、あらゆる人たちに福音を語り伝えて、主のみもとに導きたい。

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by betty_bible | 2018-11-08 00:00 | マタイによる福音書 | Comments(0)
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ある人にふたりの子があったが、兄のところに行って言った、
『子よ、きょう、ぶどう園へ行って働いてくれ』。
すると彼は『おとうさん、参ります』と答えたが、行かなかった。
また弟のところにきて同じように言った。
彼は『いやです』と答えたが、あとから心を変えて、出かけた。
このふたりのうち、どちらが父の望みどおりにしたのか」。
彼らは言った、「あとの者です」。
イエスは言われた、「よく聞きなさい。取税人や遊女は、あなたがたより先に神の国にはいる。

                          マタイによる福音書21:28~31

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このたとえの「行く」と言って行かなかった兄は、律法学者、パリサイ人。民の宗教的指導者である。
行かないと言って行ったのは取税人や遊女である。
前者は、神や信仰のことを民に説いて教えていた人たちである。
後者は、律法学者やパリサイ人からは全く相手にもされない、明らかに罪を犯していた人たちである。
律法学者、パリサイ人は、表向きは神に仕えているようでありながら、心は神から遠く隔てていた。
彼らは民を厳しくとがめはするが、民に手を差し伸べ助けようとはしない心の冷淡さ、
頑なさに気づこうとはしなかった。
取税人や遊女は自らの罪深さを知っていた。
だから、救われたいと願ってヨハネの招きに応じ、悔い改めて神の許に帰ったのである。
私たちの心は神の許にあるか?
いつしか 神から遠く隔てところに身を置いていることに気づいたら、
今からでも遅くはない、神の許に帰ろう。

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by betty_bible | 2018-11-07 00:00 | マタイによる福音書 | Comments(0)
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それから、イエスは宮にはいられた。
そして、宮の庭で売り買いしていた人々をみな追い出し、
また両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえされた。
そして彼らに言われた、「『わたしの家は、祈の家ととなえらるべきである』と書いてある。
それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている」。 

                          マタイによる福音書21:12~13

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神殿で両替することも、鳩を売ることも神殿礼拝に必要とされることで、合法的な行為だった。
ただそれが商売となり、神殿が市場のにぎわいのようになって、
おおよそ祈りの場とは言えない状況だった。
主は「わたしの家は、祈の家ととなえらるべきである」と言われた。
私たちの教会も「祈りの家」と呼ばれるような教会でありたい。そこでいつも誰かが祈っている。
迷い悩む時、何かあれば、相談し祈ってもらう場所として教会が用いられるように願う。

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by betty_bible | 2018-11-06 00:00 | マタイによる福音書 | Comments(0)